菅田代表提言 第33回
大東亜戦争
令和7年7月10日
毎年6月から8月15日にかけて大東亜戦争についてのドキュメンタリー番組やドラマ等がテレビで放映されます。今年はNHKの朝ドラでも軍人が登場しましたが、見るに耐えない内容でした。確かに横柄な軍人は存在しておりましたし、卑怯な将軍や海軍提督もおったようです。しかしそれは歴史のごく一部分で有ります。
歴史は俯瞰してみないと、その実相は分かりません。ガダルカナル島の戦い、ペリリュー島の戦い、硫黄島の戦い、沖縄の戦い、これらは全て日本軍の敗北に終りました。しかし日本軍と戦ったアメリカ軍人のなかには、「古今東西これほど強い軍隊はない」と言った者がいる位、日本軍は強かったのです。
例えば硫黄島の戦いは大東亜戦争中、唯一アメリカ軍の損害が、日本軍の損害を上回ったと言われております。しかし実は沖縄戦でもアメリカ軍の戦死傷者66000人と言う公式発表の2倍の損害があったと言われています。それは、実際に戦ったアメリカ兵が証言したり、記録を残しているからです。アメリカ政府は、勝っていながら実は日本軍より損害が大きかったとは発表出来なかったようです。
一知半解な歴史家や知識人は、早く降伏すれば良かったと言いますが、日本軍が玉砕戦をやらず、また特攻攻撃をしなければ、日本政府は無条件降伏するしかなく、皇室は廃絶、寺社仏閣は破壊され尽くされ、そして日本人の公用語は英語になり、キリスト教への改宗を強要された事でしょう。
特攻隊に志願した、ある学徒兵は次ように語っております。
「私達は学鷲です、この戦争に勝てるとは思っておりません。しかし私達の死が降伏条件の緩和になるのです。」
また「特攻の父」と言われた大西瀧治郎提督は、
「特攻をやらずに敗北すれば、それは本当の敗北になる。しかし特攻を敢行しての敗戦なら、後世の人々は、『先輩達は祖国日本を護る為そこまでやってくれたのか』という歴史が残る。それが日本再建につながる。」と言う意味の事を言い残しております。
実際に無条件降伏要求は、ポツダム宣言13ヶ条の有条件降伏になったのです。その意味を深く考え、日本国民は靖國神社に祀られている、護国の英霊に感謝の誠を捧げなければなりません。
菅田拝
大西瀧治郎提督の遺書
遺書
特攻隊の英霊に申す
善く戦いたり深謝す
最後の勝利を信じつつ肉弾として散花せり
然れ共其の信念は遂に達成し得ざるに至れり、
吾死を以って旧部下の英霊と其の遺族に謝せんとす
次に一般青壮年に告ぐ
我が死にして軽挙は利敵行為なるを思い、聖旨に副い奉り自重忍苦するの誡ともならば幸なり(訳:私の死が君らに軽率な行動を起こすことは敵に利する事となる。天皇陛下の仰せに従い、軽率な言動を慎んで、苦労を耐え忍ぶべきとのいましめになれば幸いである。)
隠忍するとも日本人たるの矜持を失う勿れ
諸士は国の宝なり 平時に処し猶お克く
特攻精神を堅持し 日本民族の福祉と
世界人類の和平の為 最善を尽せよ
海軍中将大西瀧治郎
八月十六日