2017/04/20

組織犯罪処罰法改正案の国会審議

 国会では、「テロ等準備罪」を新設する組織犯罪処罰法改正案が審議されています。テロ組織や暴力団などの組織的犯罪集団が、重大な犯罪を計画しメンバーのうちの誰かが犯罪の準備行為を行った場合などに、計画段階で犯罪を未然に防ぐ為の法案です。
 かつて、浅間山荘事件や地下鉄サリン事件などで多数の犠牲者を出し、今や世界各国でテロ事件が多発して一般国民が被害にあっている中で、我が国としてもテロや組織犯罪から未然に国民の安全を守る事は当然のことであり、法案の早期成立は国会の義務と言えます。
 ところが、野党はまたもや異常な事を言って反対しています。「法案は日本を監視社会にするものだ」「罪の無い人に嫌疑がかけられる可能性がある」「一般人も対象になる」と。
 国会では安倍総理が「処罰対象は組織的犯罪集団に限定しており、正当な活動を行っている団体が監視や捜査の対象になる事はない」と断言しています。
 しかし、「一億総監視社会」「集まってカレーを作っただけで逮捕される恐れがある」などと不安を煽っています。
 この法案が成立して困るのはテロ組織、犯罪組織だけです。必死に法案成立を阻止しようとしている野党の姿は、あたかも自分達が捜査対象になる事を恐れているかのように映ります。
 捜査共助や犯罪情報提供などの国際協力を進める為、TOC条約(国際組織犯罪防止条約)があります。この条約には、国連加盟国193ヶ国のうち187ヶ国が既に加盟しています。
 加盟していない11ヶ国は、ブータン、イラン、コンゴ、南スーダン、ソマリア、パラオ、ツバル、ニューギニア、ソロモン諸島、フィジー、そして日本です。
 G7(先進7ヶ国)の中で加盟できていないのは日本だけです。何故日本が加盟できないかというと、TOC条約が義務づけている「重大犯罪の実行合意を犯罪化」する為の国内法整備が出来ていないからです。

 東京オリンピックや急速な国際化、増え続ける外国人観光客などに鑑みても、一日も早い法案成立を願うばかりです。




2017/04/14

第46回歴史講演会に際して その2 昭和天皇と今上陛下 


 昭和天皇は、戦争で家族を亡くし家を失った多くの国民を慰め励ます為に昭和21年の神奈川県を皮切りに昭和29年の北海道まで、沖縄を除いた全都道府県をご巡幸されました。全行程33,000km、一日200㎞の強行軍でした。
 
 戦のわざはひうけし国民を おもふこころにきでたちてきぬ

 わざわひをわすれてわれを出むかふる 民の心をうれしとぞ思ふ

 国をおこすもといとみえてなりはいに いそしむ民の姿たのもし

 昭和天皇をお迎えした国民の喜びと感激は大変なものでした。東日本大震災の際、被災地を周り被災者を慰め励まされた天皇皇后両陛下。そのお言葉に多くの被災者は生きる希望と勇気をあたえられました。それと同じ事が、終戦後全国各地で起こったのです。それが戦後復興の原動力となりわが国は不死鳥の如く焦土から蘇りました。
 震災の時に気付かされた事それは、自衛隊と天皇陛下の存在でした。非常時に国家国民の生命や安全を守り、国民に生きる希望と勇気を与えられる存在、それが天皇陛下であり自衛隊だったのです。普段は気付かないが、実はそれが無いと生存できない。天皇陛下と自衛隊は我々にとってまるで空気のような存在だったのではないでしょうか。
 天皇陛下のご譲位が国会でも議論されている今、私達国民も皇室のあり方に無関心であってはならないと思います。
 この度「至誠と慈愛の人 昭和天皇を仰ぐ」のテーマで「第46回歴史講演会」を開催する事になりました。是非この機会にお誘い合わせの上ご参加下さいますようよろしくお願いいたします。
           宮城ビジョンの会代表世話人
                  菅田彰人





 

2017/04/07

第46回歴史講演会に際して 昭和天皇を偲ぶ その1

4月29日は「昭和の日」、昭和天皇のお誕生日です。
 昭和の時代は、戦争、敗戦、占領という、わが国史上かつて無い国難の時代でした。にもかかわらず、国家存亡の危機を乗り越えて奇跡の復興を成し遂げる事が出来たのは、一重に昭和天皇のご存在のお陰であったと言えるのです。

 
   昭和天皇の御製 
   爆撃にたおれゆく民のうえをおもひ 
                 戦とめけり身はいかにならんとも
   身はいかになるとも戦とどめけり 
                 ただたおれゆく民をおもひて
   国がらをただ守らんといばら道
                 すすみゆくともいくさとめけり

 国民の命を守りたいとの一心で御聖断を下された昭和天皇。それによって、昭和20年8月15日大東亜戦争は終結しました。
 しかし、占領軍(GHQ)による日本占領は「日本が再び米国の脅威とならない」為に、軍隊は勿論わが国皇室の解体も視野に入れた大変過酷なものでした。そんな中、昭和天皇は9月27日、占領軍最高司令長官マッカーサー元帥にお会いになり、「私は日本の戦争に遂行に伴ういかなることにも、また事件にも全責任をとります。(中略)自分自身の運命について貴下の判断が如何様のものであろうとも、それは自分には問題ではない。構わずに総ての事を進めて頂きたい。私は全責任を負います。」と、全責任を一身に背負われようとされました。マッカーサー元帥はそのお言葉に驚き、そして感動し、「自分が現在の任務についている以上は、断じて日本の国民の中に餓死者を出すような事はさせぬ。」と、食糧供給を請け合い、敗戦後の食糧難の時代に餓死者を出さずに済んだのです。