2026/05/02

乃木希典陸軍大将

 菅田代表提言 第43

 

乃木希典陸軍大将

 

乃木大将は戦前は英雄、戦後は愚将のレッテルを貼られました。それは司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」の影響です。司馬遼太郎の嘘が信じられている事は大変な不幸なことです。しかし日本政策研究センターの主任研究員 岡田幹彦先生の著作「乃木希典:高貴なる明治(展転社)によって乃木愚将論は粉砕されました。

是非ご一読をお勧めします。



乃木希典 高貴なる明治

 

さて、乃木大将が日露戦争で旅順要塞を陥落させた後、敵将ステッセルにどのように接したかを書きます。

 欧米や中国では、敗軍の将は勲章を着用したり、帯剣は先ず許されませんし名誉を毀損される事もあります。しかし、日本の場合「敵ながら天晴れ」と言う言葉があるように、敵将に対して配慮を忘れず、名誉を尊重します。これが武士道です。

明治天皇は、山縣参謀総長を通じて乃木大将に聖旨を伝達しております。

「陛下には、将官ステッセルが祖国の為尽くせし苦節を(よみ)したまい、武士の名誉を保たしむべきことを望ませらる。」

これを受けた乃木大将は、直ちに軍使を派遣してステッセル将軍に聖旨を伝えます。それからステッセル将軍に食料として鶏、葡萄酒、野菜等を送っております。そして「水師営の会見」が行われました。その時ステッセル将軍は、軍装の上勲章を下げ帯剣しております。日本軍はステッセル将軍を、捧げ銃(ささげつつ=軍隊で、銃を用いた敬礼の一つ)で迎えます。普通は敗軍の将に捧げ銃はしません。


凱旋記念の絵はがき ステッセル将軍は帯刀している
 

海外の報道陣は「取材させてくれ」と頼み込んで来ましたが、乃木大将は敗軍の将に配慮して、これを許しませんでした。許したのは一枚の写真だけです。この写真だけを見れば、どちらが勝利者か分かりません。

 

中列左から二番目が乃木大将、乃木大将の右隣がステッセル将軍



水師営での会見が始まるとステッセル将軍は乃木大将の人格に感銘を受けます。そしてステッセル将軍は愛馬を乃木大将に献上します。水師営の会見は世界に発信され、乃木大将の武士道は世界から絶賛されました。

ステッセル将軍が帰国すると早速軍法会議にかけられ、死刑判決を言い渡されます。これを知った乃木大将は、ヨーロッパに居た部下にステッセルの減刑嘆願運動をさせます。その甲斐があってステッセルは死刑を免れたのです。しかし生活は窮乏しましたので、乃木大将は名前を伏せてステッセル将軍に送金しております。

 明治天皇が崩御されて、御大葬の日に乃木大将は奥様と共に明治天皇の御跡(みあと)を追い割腹自決を遂げます。これは世界中に配信されます。これを知ったステッセル将軍は、名前を伏せ、モスクワの一僧侶として、皇室に次ぐ弔慰金を送ってきたのです。

左: 乃木静子夫人   右:乃木希典大将


もし乃木大将がステッセル将軍に対して恥辱を与えていたら、この様な感動的な物語が生まれるはずがありません。

 

 

補足説明

・旅順要塞・・・ロシアの総司令官クロパトキンは、「如何なる敵をもってしても3年間持ち堪える」と豪語していました。難攻不落の要塞という事です。

・聖旨・・・天皇陛下のお考え、命令またはその文書

・嘉(よみ)したまい・・・尊いものとして認め、褒め称える

 ・乃木坂・・・東京都港区赤坂8,9丁目付近にある坂道。元は幽霊坂と言われておりましたが、乃木大将が亡くなった後、赤坂議会の決議により乃木坂に改名されました。近くに乃木邸と乃木神社があります。

 

乃木大将の和歌二首

武士(もののふ) は玉も黄金も何かせん 命にかえて 名こそ惜しけれ

うつし世を 神去りましし 大君の みあとしたいて 我はゆくなり (明治天皇が崩御されたので、私もお供いたしますの意)


・イアン・ハミルトン英国陸軍中将の言葉

「もし私が日本人なら、乃木将軍を神として仰ぐであろう。」

  

是非唱歌「水師営の会見」をYouubeで聴いてみて下さい。

https://www.youtube.com/watch?v=plxQcGfVpMc

 

唱歌 水師営の会見

作詞 佐佐木信綱 

作曲 岡野貞一

 

旅順開城約成りて 敵の将軍ステッセル

乃木大将と会見の 所はいずこ水師営

 

庭に一本棗の木 弾丸跡も著るく

崩れ残れる民屋に 今ぞ相見る二将軍

 

乃木将軍は厳かに 御恵み深き大君の

大詔伝うれば 彼畏みて謝し奉

 

昨日の敵は今日の友 語る言葉も打ち解けて

我は讃えつ彼の防備 彼は讃えつ我が武勇

 

形正して言い出でぬ 「この方面の戦闘に

二子を失い給いつる 閣下の心いかにぞ」と

 

「二人の我が子それぞれに死所を得たるを喜べり

これぞ武門の面目」と大将答え力あり

 

両将昼餉共にして なおも尽きせぬ物語

「我に愛する良馬あり 今日の記念に献ずべし」

 

「厚意謝するに余りあり 軍の掟に従いて

他日我が手に受領せば 長く労わり養わん」

 

「さらば」と握手懇ろに 別れて行くや右左

砲音絶えし砲台に ひらめき立てり日の御旗

 

以上 

次回は元帥東郷平八郎海軍大将について書きます。

菅田拝

2026/04/10

ビスマルク首相とトランプ大統領

菅田代表提言 第42

 

ビスマルクとトランプ

 

軍服姿のビスマルク (1894年)
  

 

 鉄血宰相ビスマルク(1815-1898)はドイツ統一を成し遂げた政治家として有名ですが、彼はただガムシャラに戦争を仕掛けてドイツを統一させた訳では有りません。彼は決闘好きな乱暴な面もありましたが、歴史をよく学んでおりました。これが一つの鍵です。


彼はまずオーストリアと組んでデンマークに戦争を仕掛けて撃破します(1864年対デンマーク戦争)。それから、なんとオーストリアに戦争を仕掛けてこれも屈服させます(1866年普墺戦争)。この時ビスマルクは軍部を抑えて、オーストリアに恥辱を与えないようにします。これが後のフランスとの対戦の時に効果を発揮します。オーストリアは恥辱を与えられなかった事に恩義を感じて、その後の普仏戦争(1870)に干渉しなかったのです。プロイセンはフランス軍を破り、ここにデンマーク、オーストリア、フランスに干渉される事なく、プロイセンを中心にドイツは統一されました(1871)。

 

ビスマルクはオーストリアを破った時と同様に軍部等を抑えて、フランスに恥辱を与えないように動いたのですが、この時は無理でした。ドイツ皇帝となったウィリアム1世の戴冠式が、なんとベルサイユ宮殿で執り行われました。誇り高いフランス人にとってこれ程の屈辱は無かったと思います。

 

ヴィルヘルム1世の皇帝即位式を描いた絵画。中央の白い軍服がビスマルク
(出典:wikipedia)


第一次大戦(1914-1918)後、今度は敗戦国ドイツがイギリスとフランスに多額の賠償金を要求されます(英経済学者ケインズは過酷なあまり欧州経済まで破綻させると警鐘を鳴らした)戦後のドイツはハイパーインフレに見舞われ塗炭の苦しみを味わう事になるだけでなく、欧州経済にも悪しき影響を及ぼしました。このように戦争に勝利した後、相手に恥辱を与えない場合と恥辱を与えた場合と、その後の展開が全く変わってくるのです。

 

ビスマルクは「愚者は己の体験に学び賢者(自分)は歴史に学ぶ」と言っております。この姿勢がビスマルクを偉大な政治家にしたのです。


翻って米国のトランプ大統領の言説はどうでしょうか。「一つの文明が終わる」、「クソったれの海峡を開けろ」、「石器時代に逆戻りだ」と相手を汚い言葉で罵り、敵対していた人が亡くなった時も「亡くなって良かった」と言ってしまいました。これらはあまりにも品性に欠ける発言です。


 トランプ大統領(2026年)(出典 ARAB NEWS)

第二次世界大戦末期にアメリカのルーズベルト大統領が亡くなった時、日本の鈴木貫太郎首相は弔意を表明しましたが、ドイツ側は大喜びしたと聞いた事があります。


鈴木貫太郎首相(出典 wikipedia)


 「綸言(りんげん)汗の如し」と言う言葉があります。権力者が一度発した言葉は、汗と同じで引っ込みがつかない、取り消したり訂正したり出来ないという意味です。日本の政治家にも発言にはくれぐれも注意して貰いたいと思います。

 

次回は日露戦争の時、敗軍の将に対して東郷平八郎海軍元帥と乃木希典陸軍大将がどのように接したか書きたいと思います。


 

補足説明

プロイセンの陸軍参謀総長は、軍事の天才モルトケ元帥でした。彼は兵員や武器等を鉄道を使い速やかに移動させ、また電信も上手く使い、それから指揮官の自発性を尊重しました。

参謀総長時代のモルトケ(1914年)(出典wikipedia)

モルトケは軍事の天才ですが、 ビスマルクが外交で敵を一国に絞り込んでくれたから、その才能を発揮する事が出来たのです。

ビスマルクは粗暴な面があり、モルトケは紳士でしたから、この二人の英傑は、反りが合わないところがあり衝突する事も有りましたが、お互いに敬意を持っておりましたからドイツ統一を成し遂げる事が出来たのです。

菅田拝

 

 

 

2026/03/06

アンドレ・マルローの予言 その5

 菅田代表提言 第41回

 

アンドレ・マルローの予言 その5


アンドレ・マルロー生誕100年記念出版
「アンドレ・マルローの日本」

  フランス人で文化大臣まで務めた親日家のアンドレ・マルローが「日本が世界を救う」と言い残して亡くなった件についてその理由を掘り下げる第5回、今回で纏めたいと思います。

 

 日本人は主君に対する忠義と、親に対する孝行どちらを上位にするか?それは忠を上位と考えていました。中国は孝の方が上位です。これは、日本人は私的なものより公を優先したという事を意味します。現在の日本人にもまだ残っている精神です。その例を少し上げたいと思います。

 

現在世界中で使用されているQRコード、点字ブロック、世界の電気製品に欠かせないソフトのトロン、駅の改札口で使われている非接触ICカード技術、これらは日本人が開発した技術ですが、特許料を取れば莫大な利益を得る事ができるにもかかわらず、それをやらず技術を社会の為に解放したのです。金銭よりも社会に対する貢献を優先させた日本人らしい行為だと思います。

 

以前ブログに書きましたが、大東亜戦争は自存自衛の為、そしてアジア開放の為に日本人が命をかけて戦ったのですから、技術を開放する位はさほど驚く事は無いと思ったりもしますが、しかし敗戦後のアメリカの日本占領でかなり日本人は洗脳され個人主義的な人が増えましたから、技術の開放はやはり大いに称賛すべきものだと思います。

 

話しが少し横にそれますが、明治の大日本帝国憲法の起草にあたり中心的な役割を担ったのが井上毅(こわし)であります。彼は憲法を起草するにあたり古事記と日本書記を研究しました。そして「シラス」と言う言葉と「ウシハク」と言う言葉がある事に気が付きます。「シラス」とは「知る」からくる言葉で、民が何を求めているかを知って政治をする事です。「ウシハク」とは力で民衆を従わせる政治です。


       井上 毅 (引用:Wikipedia)

 井上毅は、大日本帝国憲法の第一条に「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲシラス」と書きましたが、「シラス」と言う言葉は分かりづらいので、伊藤博文は「シラス」を「統治ス」と書き換えました。しかし伊藤が書いた解説書大日本帝国憲法義解には、「統治はシラスと同じ意味である」と書いております。

 

このように日本は古代よりシラス政治が基礎にあったのだと思います。そして現在の日本人も、シラスと言う言葉は知らずとも、常に相手の事を思いやり行動していると思います。近江商人は「三方良し」(売り手良し、買い手良し、世間良し)の精神で商売をしておりました。アンドレ・マルローは日本を深く研究して、日本人の行動様式を知っていましたから、「日本が世界を救う」と発言したのでしょう。

 

日本を研究した天才的人類学者クロード・レヴィ=ストロースも「悔しいが日本は比類がない」と高く評価しておりました。このように世界から称賛される日本ですが、毎年多くの子供達が自殺しております。それは、日本人が日本の歴史や伝統を知らず、自己肯定感が低いからだと思います。教育現場で誇りある歴史や伝統を教えなければならないと思っております。  

 

菅田拝

 

 

 

 補足説明

島津斉彬公は家臣に「薩摩の国の土地と人民は天子様(天皇)からお預かりしたものだと言う事を忘れてはならない」と訓示しております。

現在の政治家で、「国安かれ民安かれ」と、毎日のように神々に祈りを捧げておられる天皇陛下の大御心(おおみこころ)を思い政治活動をしている政治家がどれだけいるでしょうか。残念ながら極少数だと思います。そもそもシラスと言う言葉を知っている政治家がどれだけいるでしょうか。政治家には、もっと日本の国柄を知って貰いたいと願っております。


クロード・レヴィ=ストロース(1908-2009)

写真:Wikipedia

フランスの社会人類学者、民族学者。フランスの高等教育の最高峰であるコレージュ・ド・フランスにて社会人類学講座を1984年まで担当。国際交流基金の招きで1977年に初来日し、5度ほど来日して講演・シンポジウムや、日本人学者や日本学者らとの交流を行う。日本文化を高く評価する親日家であり、1993年春の外国人叙勲で勲二等旭日重光章が授与されている。

2026/02/10

アンドレ・マルローの予言 その4

菅田代表提言 第40回
 
アンドレ・マルローの予言 その4
 
  フランス人で文化大臣まで務めた親日家のアンドレ・マルローが「日本が世界を救う」と言い残して亡くなった件についてその理由を掘り下げる第4回です。

アンドレ・マルロー氏(引用:wikipedia)

 1958年(昭和33年)、アンドレ・マルローは情報相(大臣)として来日した時に昭和天皇に拝謁を賜っております。その会談でマルローは昭和天皇に「特攻隊の国を思う純粋な精神、武士道精神は素晴らしい」と述べ、彼らの精神に対する感銘と賛辞を伝えました。

 当時、戦後の知識人で特攻隊を称賛した人はほとんどおりませんでしたが、しかしゼロでは有りませんでした。世界的大数学者の岡潔先生は特攻隊を次のように評価しております。「日本人の『情緒』や『無私』(小我を捨てて大我に生きる)の精神の究極的な表れ」この岡先生の評価は、マルローと共通しております。

岡潔先生


  またマルローは、当時皇太子だった上皇陛下とも会談されております。その時に彼は国連を痛烈に批判したのです。驚いた上皇陛下にマルローは、「国連がしっかりと機能していれば世界はこのようになっておりません殿下。」と申し上げたのです。
 
 これは現在も変わり有りません。そもそも国連を作った人達は左翼思想の持ち主で、将来的に国連の機能と権限とを強化してグローバリストの大富豪や闇の勢力による事実上の世界政府を作ろうとしているのです。従って国連は、日本の皇位継承について「男女平等に反する」などと一国の主権に関わるようなことに対して無礼な口出しをしてくるのです。国際政治学者の藤井厳喜先生も、国連ほど腐敗している組織は無いと言っております。
トランプ大統領が66もの国連機関から脱退すると宣言したのは、故あっての事なのです。

藤井厳喜先生の著作「国連の正体」

 
 少し脱線しました。日本人は情緒が豊かで道義心が強い民族です。その道義心の根本は、「人の痛みや悲しみが分かる」というところにあります。故に日本人は優しい人が多く、嘘をつかないのです。日本は自然災害の多い国です。世界の国々では戦争で亡くなる人が多いのですが、日本は例外で、災害で亡くなる人が多いのです。ですから人の悲しみを我が事として受け止め、困った時には助け合わなければ生きられない事を良く知っているのです。
 
 また、日本の海外援助はただ単に物を与えるのでは無く、共に汗をかいて技術を教え、将来日本人の世話にならずとも自立した生活が出来るように手助けします。魚を与えるのではなく魚の釣り方を教えるのです。これは将来悲しい思いをしない様にとの親切心からくるものです。
 
 大東亜戦争の時、日本軍が占領した地域では軍人が現地の人達と一緒に泥まみれになりながら田植えのやり方などを教え、また戦後欧米諸国の植民地支配から独立を勝ち取り、国政を維持出来る様にと軍事訓練や官僚の育成にまで尽力しました。

 現在も自衛隊はPKOで派遣された国の人達と共に作業をします。欧米諸国の軍人は、現地の人達に指示するだけで、一緒に汗をかき仕事をする事はあまりないようです。イラクに派遣された自衛隊も現地の人達と一緒に働き、信頼を得ていきました。現地の部族長は日本の自衛隊に攻撃を加える事を厳禁していました。そして現地人達による「自衛隊感謝デモ」だけでなく「自衛隊帰らないでデモ」まで発生したのです。これは日本人の誇りではないでしょうか。



PKOで活躍する陸上自衛隊の方々と現地の子供たち


次回を最終回にしたいと思います。  菅田拝

 
 
◆補足説明
・小我…私心、自分の利益
・大我…国家や、愛する者の為に命を捧げること。より高い道義。

・集団的無意識
個人の経験を超えて人類全体に共通して遺伝的に受け継がれている深層心理の領域。日本人の優しさは先祖の度重なる災害の経験により遺伝子に組み込まれたようです。最近の遺伝子研究で、日本人には特殊な優しい遺伝子があると主張する研究者もおります。 『YAP遺伝子(親切遺伝子)

・岡潔
(1901-1978)大阪生れ。日本数学史上最大の数学者。1925(大正14)年、京都帝大卒業と同時に講師に就任、以降、広島文理科大、北大、奈良女子大で教鞭をとる。多変数解析函数論において世界中の数学者が挫折した「三つの大問題」を一人ですべて解決した。1960(昭和35)年、文化勲章受章。エッセイ集に『春宵十話』『日本のこころ』『風蘭』『情緒の教育』『情緒と創造』『情緒と日本人』等 哲学的にも大きな影響力を示した。
 
 
 

2026/01/09

アンドレ・マルローの予言 その3

菅田代表提言 第39回


 アンドレ・マルローの予言 3



 前回に引き続きフランス人で文化大臣まで務めた親日家のアンドレ・マルローが「日本が世界を救う」と言い残して亡くなった件の第3回です。

 2026年1月3日、トランプ大統領はベネズエラに侵攻してマドゥロ大統領夫妻を拘束し、ニューヨークの拘置所に収容しました。これから麻薬密輸の共謀など4つの罪で裁判にかけるようです。

 1989年にもブッシュ大統領がパナマに侵攻して、ノリエガ氏を拘束してアメリカで裁判にかけ、禁錮40年の判決を下しております(後に30年に減刑) 。

 1953年にはイランで民主的に選ばれたモサッデク大統領がアメリカのC I AとイギリスのM I6の工作によって失脚させられました。モサッデク大統領が石油会社を国有化したからです。第二次大戦後イランは独立したものの、石油利権は欧米人によって支配されていました。イラン人は石油が産出するにもかかわらず貧しいままだったのです。モサッデク大統領が石油利権を自国に取り戻そうとしたのは当然です。

 欧米人には日本による朝鮮、台湾、パラオ統治のように、現地の人々の生活レベルを上げるという発想が全くありません。これでは争いと憎悪しか生まれません。欧米人は、非白人で非キリスト教徒は人間では無い故に人権は無いから殺害しても構わないという考えに至ります。欧米人の一神教的発想(善か悪か)では世界に平和をもたらす事は出来ないのです。

 日本はどうでしょうか。日清戦争時の事を以下に記します。日清戦争が始まると、清国在留の一般邦人が殺害されたりしましたが、それに対して日本は報復せず、明治天皇は勅命を発して在日清国人の身体、財産の保護を命じたのです。国際法では交戦国の一方が国際法を無視した時は報復する権利を認めていますが、日本はそれをやりませんでした。それだけでなく宣戦の詔勅の中で明治天皇は、国際法を遵守し、交戦相手国の国民や第三国の国民の生命・財産を保護するよう軍部に命じていたのです。

 当時のフランスと日本の国際法学者であるポール・フォーシーユと有賀長雄博士は、「日清戦争で清国は国際法を無視したにも拘らず、日本はこれを遵守した」と同じ意味の事を述べ日本軍の軍律の素晴らしさを讃えました。


有賀長雄博士

 またフランスの記者が書いた記事を紹介します。「余等は日本帝国の如き慈愛心に富める民あるを、この地球上に発見し得るかを怪しむなり」続けて「翻って清軍を見よ、日本軍捕虜にあらゆる残虐の刑罰を加える。手足を断ち、首を切る、睾(睾丸のこと)を抜く、その無情、実に野蛮人にあらざればよくすべきの業にあらず。しかして日本は暴に報復せず徳を以てす。流石に東洋君子国たるに愧(は)じずと言うべし。」

 日本はこのように力で相手を従わせようとはしません。これに対して欧米や中国は権謀術数と軍事力で相手を従わせようとします。どちらの精神が世界を平和にするか、論ずるまでも無いと思います。

次回も続きを書きます。

菅田彰人拝


補足説明
有賀長雄博士(1860-1921)
専門は国際法。1909年日本人初のノーベル平和賞の候補に挙がる。
29歳で枢密院書記官となり首相秘書官も兼ね、内閣に勤務しながら著述活動も展開。32歳で農商務省特許局長に転属、日清戦争、日露戦争には法律顧問として従軍し、ハーグ平和会議には日本代表として出席。その後陸軍大学校、海軍大学校、東京帝国大学、慶應義塾大学、早稲田大学などで憲法、国際法を講じた。(出典:wikipedia)

ポール・フォーシーユ(1858 - 1926) 
フランスの国際法学者・弁護士。航空法の先駆者として世界的に知られている。現在も権威ある学術雑誌「国際公法総論」を共同創設し、主著である「国際公法概論全4巻」は4,600頁に及ぶ大著で、当時の国際法の集大成と評価される。(出典:wikipedia)

フランスの記者が書いた記事
黄文雄氏や、フィガロ紙従軍記者カレスコート・イリュスト氏とラシオシ紙のラロ氏共著「日本軍戦闘観戦記」など、日本軍の軍紀について書かれた全国戦友会連合会の論文をご参照ください。











2025/12/10

アンドレ・マルローの予言 その2

 菅田代表提言 第38回


 アンドレ・マルローの予言 2


 前回紹介したフランス人で文化大臣まで務めた親日家のアンドレ・マルローが「日本が世界を救う」と言い残して亡くなった件についてその理由を掘り下げたく思います。


浄土宗の開祖である法然上人平安時代末期から鎌倉時代初期)の父、漆間時国は武士であり、敵の夜討ちにあい非業の死を遂げるのですが、落命寸前に9歳の幼き法然に「決して仇を討ってはならない、恨みに恨みを持つことなかれ、早く俗世を離れ出家し、仏道を求め我が菩薩を弔え」と言い残しました。これは武士としては異例の事ですが、仇を討てば報復の連鎖が起きる事を、父の時国は分かっていたのでしょう。

法然上人

しかし日本には赤穂浪士の仇討ちという有名な物語があるではないかと言われそうですが、これには深い訳があります。大石内蔵助は赤穂藩再興を最優先に考えており、それが叶わないとなって初めて吉良上野介への仇討ちを決断したのです。当時は喧嘩両成敗が基本でした。しかし「浅野内匠頭は即日切腹、吉良上野介はお咎めなし」との裁きが下り、これに赤穂藩は納得が出来ませんでした。仇討ちは、幕府に対する抗議の意味もあったのです。

 

以前私は浅野内匠頭と四十七士のお墓がある東京都高輪の泉岳寺を訪ねた事があります。資料館の人から「赤穂浪士は吉良の首は取ったが、その遺体はきちんと布団に横たわらせて帰陣した」という説明を聞き、「流石は山鹿素行に武士道を学んだ赤穂藩士だけの事はあるな。」と感心しました。

赤穂義士 誠忠画鑑 鳥居言人画


 このように、日本人はたとえ敵であっても相手に礼儀を尽くすというところがあります。

明治天皇の御製に

「国のため あだなす仇は くだくとも いつくしむべき 事なわすれそ」

というものがありますが、赤穂浪士の行為はこの御製にピッタリ当てはまるものだと思います。


 また世界最古の会社「金剛組(創業西暦578年)」は、見えないところでも決して手を抜かないことを誇りとしています。何故なら「300年後にそれを見る人がいるから」だそうです。

平安時代の学者、政治家であり、学問の神様として全国の天満宮に祀られる菅原道真の和歌に

「心だに 誠の道に かないなば 祈らずとても 神や護らん」

というものがあります。


画像:太宰府天満宮HPより

 このように、日本人が一番大切にして来たものは「誠の心」であります。アンドレ・マルローはこういった日本人の誠の心を理解し、それに無双の価値を見出し「日本が世界を救う」と言う言葉になったのでしょう。 


AIに日本の様々な歴史や「誠の心」を学習させれば日本人の行動もかなりの確率で予想出来るようになると思います。

次回も続きを書きます。菅田拝

2025/11/08

アンドレ・マルローの予言 その1

 菅田代表提言 第37回

令和7年11月8日



 アンドレ・マルローの予言 その1

 

昭和39年、ルーブル美術館の至宝ミロのヴィーナスが来日しました。この時フランスの文化大臣に就任していたのがアンドレ・マルローでした。親日家のマルローが尽力してくれたのだと思います。

マルローは「日本が世界を救う」と言い残して亡くなりました。私はこの話をマルローに師事した竹本忠雄先生の講演テープで聞いたのですが、「何故日本が?」と初めはあまり理解出来ませんでした。しかし最近では「アンドレ・マルローの慧眼、恐るべし」と思うようになりました。それを以下に述べます。


 
彼は何度も来日して日本の伝統、文化、芸術を研究しました。そしてキリスト教の聖地エルサレムには行かず、日本の聖地である伊勢神宮や熊野を訪問しました。そこで霊的な啓示のようなものを感じとったようです。マルローはユダヤ教、キリスト教、イスラム教などの一神教では世界を平和に出来ないと考えたようです。

1974年5月4度目かつ最後の日本への旅に赴いた
アンドレ・マルロー氏(右)と竹本忠雄氏(左)
(熊野路から伊勢路への巡礼の古道)

一神教では、人間は神が土の塵(ちり)(何の価値も無いもの)から作ったものですから、神は人間が作った道徳等に縛られる事は絶対に有りません。そして最終的には神が人間を裁きます。人間に恐怖感を植え付けて支配するというやり方です。

それに対して日本の神様は、人間を裁くようなことはしません。日本では誰も命令しなくとも、また罰則が無くとも秩序が乱れない。これは世界の非常識のようです。

私は阪神淡路大震災や東日本大震災が発生した時、「被災地では掠奪も暴行も起きていない」と外国のメディアが驚きとともに報道したのを知り「何故そんな当たり前の事がニュースになるのか?」と不思議でなりませんでしたが、これは日本だからこそ秩序が乱れなかったのであり、世界中で特別な事だったからニュースになったのでした。

最近話題になっている人工知能AIは、人間の行動について9割以上の確率で予想出来るようです。しかし日本人の行動だけは予想出来無いようです。しかも極限状況になればなるほど予想が外れるとのことです。ところが、日本人の特性や精神性をAIに学ばせると、高い確率で行動を予測出来るようになるそうです。この事は、次回もう少し掘り下げたいと思います。 以上

 

 

補足説明

日本の神様は人間を裁くようなことはしないと言うと、「日本の仏教には極楽と地獄の話があるでは無いか」と言われそうですが、これは因果応報を理解させる為の喩え話であります。平安時代の僧侶源信は「往生要集」を著し(嘘つきが行く地獄、ケチだった人が行く地獄、貪りの心が強かった人が行く地獄)等詳しく書かれていますが、地獄に行かないためにとかそんな事をいちいち考えて行動している人は殆どいないと思います。ただ当たり前と思って行動しているのです。これは誇るべき日本人の特性だと思います。 

ちなみにユダヤ人の大富豪は来世の事はあまり考え無いようです。


※竹本忠雄:仏文学者、文芸評論家。筑波大学名誉教授。アンドレ・マルローの研究家として国際的に有名。

2025年3月25日、日仏の文化交流の功労者に贈られるフランスのルネサンス・フランセーズ大賞(メダイユ・ドール)を受賞(産経新聞記事)