菅田代表提言 第39回
アンドレ・マルローの予言 3
菅田代表提言 第39回
アンドレ・マルローの予言 3
菅田代表提言 第38回
アンドレ・マルローの予言 2
前回紹介したフランス人で文化大臣まで務めた親日家のアンドレ・マルローが「日本が世界を救う」と言い残して亡くなった件についてその理由を掘り下げたく思います。
浄土宗の開祖である法然上人(平安時代末期から鎌倉時代初期)の父、漆間時国は武士であり、敵の夜討ちにあい非業の死を遂げるのですが、落命寸前に9歳の幼き法然に「決して仇を討ってはならない、恨みに恨みを持つことなかれ、早く俗世を離れ出家し、仏道を求め我が菩薩を弔え」と言い残しました。これは武士としては異例の事ですが、仇を討てば報復の連鎖が起きる事を、父の時国は分かっていたのでしょう。
しかし日本には赤穂浪士の仇討ちという有名な物語があるではないかと言われそうですが、これには深い訳があります。大石内蔵助は赤穂藩再興を最優先に考えており、それが叶わないとなって初めて吉良上野介への仇討ちを決断したのです。当時は喧嘩両成敗が基本でした。しかし「浅野内匠頭は即日切腹、吉良上野介はお咎めなし」との裁きが下り、これに赤穂藩は納得が出来ませんでした。仇討ちは、幕府に対する抗議の意味もあったのです。
以前私は浅野内匠頭と四十七士のお墓がある東京都高輪の泉岳寺を訪ねた事があります。資料館の人から「赤穂浪士は吉良の首は取ったが、その遺体はきちんと布団に横たわらせて帰陣した」という説明を聞き、「流石は山鹿素行に武士道を学んだ赤穂藩士だけの事はあるな。」と感心しました。
明治天皇の御製に
「国のため あだなす仇は くだくとも いつくしむべき 事なわすれそ」
というものがありますが、赤穂浪士の行為はこの御製にピッタリ当てはまるものだと思います。
平安時代の学者、政治家であり、学問の神様として全国の天満宮に祀られる菅原道真の和歌に
「心だに 誠の道に かないなば 祈らずとても 神や護らん」
というものがあります。
AIに日本の様々な歴史や「誠の心」を学習させれば日本人の行動もかなりの確率で予想出来るようになると思います。
次回も続きを書きます。菅田拝
菅田代表提言 第37回
令和7年11月8日
アンドレ・マルローの予言 その1
昭和39年、ルーブル美術館の至宝ミロのヴィーナスが来日しました。この時フランスの文化大臣に就任していたのがアンドレ・マルローでした。親日家のマルローが尽力してくれたのだと思います。
マルローは「日本が世界を救う」と言い残して亡くなりました。私はこの話をマルローに師事した竹本忠雄先生の講演テープで聞いたのですが、「何故日本が?」と初めはあまり理解出来ませんでした。しかし最近では「アンドレ・マルローの慧眼、恐るべし」と思うようになりました。それを以下に述べます。
一神教では、人間は神が土の塵(ちり)(何の価値も無いもの)から作ったものですから、神は人間が作った道徳等に縛られる事は絶対に有りません。そして最終的には神が人間を裁きます。人間に恐怖感を植え付けて支配するというやり方です。
それに対して日本の神様は、人間を裁くようなことはしません。日本では誰も命令しなくとも、また罰則が無くとも秩序が乱れない。これは世界の非常識のようです。
私は阪神淡路大震災や東日本大震災が発生した時、「被災地では掠奪も暴行も起きていない」と外国のメディアが驚きとともに報道したのを知り「何故そんな当たり前の事がニュースになるのか?」と不思議でなりませんでしたが、これは日本だからこそ秩序が乱れなかったのであり、世界中で特別な事だったからニュースになったのでした。
最近話題になっている人工知能AIは、人間の行動について9割以上の確率で予想出来るようです。しかし日本人の行動だけは予想出来無いようです。しかも極限状況になればなるほど予想が外れるとのことです。ところが、日本人の特性や精神性をAIに学ばせると、高い確率で行動を予測出来るようになるそうです。この事は、次回もう少し掘り下げたいと思います。 以上
補足説明
日本の神様は人間を裁くようなことはしないと言うと、「日本の仏教には極楽と地獄の話があるでは無いか」と言われそうですが、これは因果応報を理解させる為の喩え話であります。平安時代の僧侶源信は「往生要集」を著し(嘘つきが行く地獄、ケチだった人が行く地獄、貪りの心が強かった人が行く地獄)等詳しく書かれていますが、地獄に行かないためにとかそんな事をいちいち考えて行動している人は殆どいないと思います。ただ当たり前と思って行動しているのです。これは誇るべき日本人の特性だと思います。
ちなみにユダヤ人の大富豪は来世の事はあまり考え無いようです。
※竹本忠雄:仏文学者、文芸評論家。筑波大学名誉教授。アンドレ・マルローの研究家として国際的に有名。
大東亜戦争 その3
令和7年9月10日
前回に引き続き日米戦争が不可避だった事について述べます。
日米開戦前に中国でアメリカの外交官を務めていたラルフ・タウンゼントという人物がおりました。彼はアメリカ商務省のデータを調べて米日貿易の方が米中貿易より遥かにアメリカに利益をもたらしていると言う事実を知ります。
「中国は治安が悪いので軍隊を駐留させなければならないが、日本にはその必要が無い。それだけでも莫大な経費節減になっている。故に日本に圧力をかけて中国を援助するという米国の外交は間違っている」と主張して1933年に「暗黒大陸シナの真実」という本を出版しベストセラーになりましたが、帰国後の活動から日米開戦直後の1942年に何と彼は投獄されてしまいます。ルーズベルトは何としても日本と戦争したかったのでしょう。
イギリスの首相チャーチルは、ドイツに負けそうなので何とかアメリカを戦争に引き摺り込もうと思っていましたし、ルーズベルトもヨーロッパの戦争に介入しようと画策していました。そこで米英両首脳が1941年8月9日大西洋上のイギリス戦艦プリンスオブウェールズ艦上で会談します。その時発せられたのが大西洋憲章です。そこには、
1、自由な貿易
1、主権、自治を強奪されたものにはそれが回復される事を希望
1、領土の不拡大、不変更
等々立派な文言が並んでいますが、これはイギリスの植民地には適用されないとチャーチルは発言しておりましたから、ドイツに侵略されたヨーロッパの白人の国々には適用されても、インド人やビルマ人等の有色人種に適用するつもりは全くなかったのです。
この時点でアメリカは、まだ日本ともドイツとも戦っていないにもかかわらず、会談で戦後の世界体制について話をしております。米英で日本とドイツを叩き潰す事を前提に話しをしたという事です。
皆さんは「公論は敵より出ずる」(公正な意見は味方よりもむしろ敵方から出てくる)という言葉をご存じでしょうか。下記に紹介する三人は日米開戦に至るまでの日米交渉を公文書などから詳細に調べてルーズベルトを痛烈に批判しております。
アメリカの歴史学会会長であったチャールズ・ビーアド博士は著書「ルーズベルトの責任 日米戦争はなぜ始まったか」(1948)(和訳2011)を出版し、日米戦争はルーズベルトという狂人によって引き起こされたと言っております。
下院議員だったハミルトン・フィッシュも「ルーズベルトの開戦責任 大統領が最も恐れた男の証言」(1976)(和訳2014)を著しルーズベルトを絶対に許さないと言っております。
またハーバート・フーバー元大統領も戦後「裏切られた自由」(2011)(和訳2017)という本で太平洋戦争はルーズベルトが参戦を希求して日本を挑発し続けたことによって生じたものであり、開戦を回避することが可能だったと主張しています。
しかし残念なことにこれらの正論は戦後の日米に於いて「歴史修正主義」とのレッテルを貼られ、なかなか広がっていきません。
当時アメリカでは国会議員ですらハル国務長官が野村大使に手渡した最後通牒「ハルノート」の存在を誰一人知りませんでした。ルーズベルトはアメリカ議会を欺いて日本を追い詰め、日本が先にアメリカを攻撃するように仕掛けたと言うのが真相なのです。
ちなみにチャーチルはユダヤ系国際金融資本ロスチャイルドの僕(しもべ)ですし、ルーズベルトはウォール街(金融街)出身ですから、当時の米英政府の後には巨大な闇の勢力があった事は間違いないでしょう。当時の日本ではそれらを「地下政府」と呼び、トランプ大統領は「ディープステート」と呼んでおります。
強気のトランプ大統領もこのディープステートと全面的に戦うことは出来ず、多少は譲歩しているようです。菅田拝
補足説明
「ハルノート」はアメリカ財務省のハリー・デクスター・ホワイトという人物が書きました。戦後彼はソ連のスパイだった事が分かっております。ソ連も日米戦争を画策していたのです。
アメリカでは宣戦布告の権限は議会にありますから、事実上の宣戦布告であるハルノートの存在をルーズベルトは議会に知らせなかったのです。
菅田代表提言 第34回
大東亜戦争 その2
令和7年8月12日
今年は終戦80周年とのことで、多くのメディアが大東亜戦争について特集を組んでおりますが、殆どの内容が、「当時の日本は戦争に前のめりであった」「自ら戦争に突き進んでいった」との誤った認識で始まっていることは実に残念です。今回は、何故日米戦争が不可避だったのかについて述べたいと思います。
日露戦争後、アメリカは急激に反日に転じます。その大きな原因は、満州鉄道を日米共同で経営するというアメリカの鉄道王ハリマンの提案を日本政府は一旦受け入れて仮調印したにも関わらず、外務大臣小村寿太郎の反対にあって反故にされたという事に対する恨みがあったからだという事は間違い無いと思います。これで小村寿太郎の評価は少し下がってしまいます。しかし実は児玉源太郎も共同経営に反対していたということはあまり知られておりません。
アメリカは日露戦争時、日本の外債を大量に購入してくれました。ジェイコブシフ(ユダヤ系大金融資本家)などは、明治天皇から旭日大綬章まで授与されております。アメリカにとってみれば「日露戦争に日本が勝利できたのは誰のお陰か。アメリカ大統領(セオドア・ルーズベルト)が日露の仲裁に努め、莫大な資金を提供したのはアメリカだぞ。」という思いは当然であります。
しかし小村寿太郎や児玉源太郎にとっては日本の将兵が大量の血と汗を流して獲得した満州鉄道を、共同経営を許せばいずれ資本力の強いアメリカに乗っ取られるとの危惧があったのも当然です。
この一件で初めてアメリカが反日に転向したのかと思いきや、さにあらず。アメリカは日露戦争の7年も前から対日戦争計画(オレンジ計画)を策定しておりまして、日露戦争後に本格的に研究が進められました。オレンジ計画はアルフレッド・マハンの「海上権力史論」に基づいて研究が進められ、アメリカはこの計画通りに日本と戦ったのです。
また日露戦争後にアメリカが制定した排日移民法は日米の離間を決定的にしました。渋沢栄一は老体に鞭打って日米関係の修復に努めましたが、全て水泡に帰してしまいます。彼は次のように語っております「70年前にアメリカ排斥(尊王攘夷運動)をしたが、当時の考えを思い続けていたほうが良かったかというような考えを起こさざるを得ないのであります。」渋沢のアメリカへの思いは、一方通行の片思いであり[美しい誤解]であったと痛嘆したのであります。
昭和天皇は、日米戦争の遠因は排日移民法にあったと述懐されております。日本は日米戦争回避を真剣に考えて行動していましたが、アメリカは何としても日本と戦争をやり、叩き潰すことを考えていたのですから戦争回避は無理でした。
次回もう少し開戦に至る経緯を述べたいと思います。菅田拝
■補足説明
アルフレッド・マハン『海上権力史論』
アメリカ合衆国の海軍軍人・歴史家・地政学者。歴史を研究した結果、海上を支配する者が勝者となるとの結論に達する。マハンは幕末の日本に来て、イギリス公使のパークス暗殺未遂事件等を知り、日本は野蛮な国だと思ってしまう。日露戦争時の作戦参謀秋山真之もマハンから教えを受けている。
■訂正
第31回の記事でトヨタ自動車が4,000億円の消費税還付を受けていると書きましたが実際は約6,000億円で、豊田市の税務署の赤字が4,044億円でした。豊田税務署の赤字額は日本一だそうです。(2021年のデータ) *本文訂正済み。
菅田代表提言 第33回
大東亜戦争
令和7年7月10日
毎年6月から8月15日にかけて大東亜戦争についてのドキュメンタリー番組やドラマ等がテレビで放映されます。今年はNHKの朝ドラでも軍人が登場しましたが、見るに耐えない内容でした。確かに横柄な軍人は存在しておりましたし、卑怯な将軍や海軍提督もおったようです。しかしそれは歴史のごく一部分で有ります。
歴史は俯瞰してみないと、その実相は分かりません。ガダルカナル島の戦い、ペリリュー島の戦い、硫黄島の戦い、沖縄の戦い、これらは全て日本軍の敗北に終りました。しかし日本軍と戦ったアメリカ軍人のなかには、「古今東西これほど強い軍隊はない」と言った者がいる位、日本軍は強かったのです。
例えば硫黄島の戦いは大東亜戦争中、唯一アメリカ軍の損害が、日本軍の損害を上回ったと言われております。しかし実は沖縄戦でもアメリカ軍の戦死傷者66000人と言う公式発表の2倍の損害があったと言われています。それは、実際に戦ったアメリカ兵が証言したり、記録を残しているからです。アメリカ政府は、勝っていながら実は日本軍より損害が大きかったとは発表出来なかったようです。
一知半解な歴史家や知識人は、早く降伏すれば良かったと言いますが、日本軍が玉砕戦をやらず、また特攻攻撃をしなければ、日本政府は無条件降伏するしかなく、皇室は廃絶、寺社仏閣は破壊され尽くされ、そして日本人の公用語は英語になり、キリスト教への改宗を強要された事でしょう。
特攻隊に志願した、ある学徒兵は次ように語っております。
「私達は学鷲です、この戦争に勝てるとは思っておりません。しかし私達の死が降伏条件の緩和になるのです。」
また「特攻の父」と言われた大西瀧治郎提督は、
「特攻をやらずに敗北すれば、それは本当の敗北になる。しかし特攻を敢行しての敗戦なら、後世の人々は、『先輩達は祖国日本を護る為そこまでやってくれたのか』という歴史が残る。それが日本再建につながる。」と言う意味の事を言い残しております。
実際に無条件降伏要求は、ポツダム宣言13ヶ条の有条件降伏になったのです。その意味を深く考え、日本国民は靖國神社に祀られている、護国の英霊に感謝の誠を捧げなければなりません。
菅田拝
大西瀧治郎提督の遺書
遺書
特攻隊の英霊に申す
善く戦いたり深謝す
最後の勝利を信じつつ肉弾として散花せり
然れ共其の信念は遂に達成し得ざるに至れり、
吾死を以って旧部下の英霊と其の遺族に謝せんとす
次に一般青壮年に告ぐ
我が死にして軽挙は利敵行為なるを思い、聖旨に副い奉り自重忍苦するの誡ともならば幸なり(訳:私の死が君らに軽率な行動を起こすことは敵に利する事となる。天皇陛下の仰せに従い、軽率な言動を慎んで、苦労を耐え忍ぶべきとのいましめになれば幸いである。)
隠忍するとも日本人たるの矜持を失う勿れ
諸士は国の宝なり 平時に処し猶お克く
特攻精神を堅持し 日本民族の福祉と
世界人類の和平の為 最善を尽せよ
海軍中将大西瀧治郎
八月十六日