2026/01/09

アンドレ・マルローの予言 その3

菅田代表提言 第39回


 アンドレ・マルローの予言 3



 前回に引き続きフランス人で文化大臣まで務めた親日家のアンドレ・マルローが「日本が世界を救う」と言い残して亡くなった件の第3回です。

 2026年1月3日、トランプ大統領はベネズエラに侵攻してマドゥロ大統領夫妻を拘束し、ニューヨークの拘置所に収容しました。これから麻薬密輸の共謀など4つの罪で裁判にかけるようです。

 1989年にもブッシュ大統領がパナマに侵攻して、ノリエガ氏を拘束してアメリカで裁判にかけ、禁錮40年の判決を下しております(後に30年に減刑) 。

 1953年にはイランで民主的に選ばれたモサッデク大統領がアメリカのC I AとイギリスのM I6の工作によって失脚させられました。モサッデク大統領が石油会社を国有化したからです。第二次大戦後イランは独立したものの、石油利権は欧米人によって支配されていました。イラン人は石油が産出するにもかかわらず貧しいままだったのです。モサッデク大統領が石油利権を自国に取り戻そうとしたのは当然です。

 欧米人には日本による朝鮮、台湾、パラオ統治のように、現地の人々の生活レベルを上げるという発想が全くありません。これでは争いと憎悪しか生まれません。欧米人は、非白人で非キリスト教徒は人間では無い故に人権は無いから殺害しても構わないという考えに至ります。欧米人の一神教的発想(善か悪か)では世界に平和をもたらす事は出来ないのです。

 日本はどうでしょうか。日清戦争時の事を以下に記します。日清戦争が始まると、清国在留の一般邦人が殺害されたりしましたが、それに対して日本は報復せず、明治天皇は勅命を発して在日清国人の身体、財産の保護を命じたのです。国際法では交戦国の一方が国際法を無視した時は報復する権利を認めていますが、日本はそれをやりませんでした。それだけでなく宣戦の詔勅の中で明治天皇は、国際法を遵守し、交戦相手国の国民や第三国の国民の生命・財産を保護するよう軍部に命じていたのです。

 当時のフランスと日本の国際法学者であるポール・フォーシーユと有賀長雄博士は、「日清戦争で清国は国際法を無視したにも拘らず、日本はこれを遵守した」と同じ意味の事を述べ日本軍の軍律の素晴らしさを讃えました。


有賀長雄博士

 またフランスの記者が書いた記事を紹介します。「余等は日本帝国の如き慈愛心に富める民あるを、この地球上に発見し得るかを怪しむなり」続けて「翻って清軍を見よ、日本軍捕虜にあらゆる残虐の刑罰を加える。手足を断ち、首を切る、睾(睾丸のこと)を抜く、その無情、実に野蛮人にあらざればよくすべきの業にあらず。しかして日本は暴に報復せず徳を以てす。流石に東洋君子国たるに愧(は)じずと言うべし。」

 日本はこのように力で相手を従わせようとはしません。これに対して欧米や中国は権謀術数と軍事力で相手を従わせようとします。どちらの精神が世界を平和にするか、論ずるまでも無いと思います。

次回も続きを書きます。

菅田彰人拝


補足説明
有賀長雄博士(1860-1921)
専門は国際法。1909年日本人初のノーベル平和賞の候補に挙がる。
29歳で枢密院書記官となり首相秘書官も兼ね、内閣に勤務しながら著述活動も展開。32歳で農商務省特許局長に転属、日清戦争、日露戦争には法律顧問として従軍し、ハーグ平和会議には日本代表として出席。その後陸軍大学校、海軍大学校、東京帝国大学、慶應義塾大学、早稲田大学などで憲法、国際法を講じた。(出典:wikipedia)

ポール・フォーシーユ(1858 - 1926) 
フランスの国際法学者・弁護士。航空法の先駆者として世界的に知られている。現在も権威ある学術雑誌「国際公法総論」を共同創設し、主著である「国際公法概論全4巻」は4,600頁に及ぶ大著で、当時の国際法の集大成と評価される。(出典:wikipedia)

フランスの記者が書いた記事
黄文雄氏や、フィガロ紙従軍記者カレスコート・イリュスト氏とラシオシ紙のラロ氏共著「日本軍戦闘観戦記」など、日本軍の軍紀について書かれた全国戦友会連合会の論文をご参照ください。











2025/12/10

アンドレ・マルローの予言 その2

 菅田代表提言 第38回


 アンドレ・マルローの予言 2


 前回紹介したフランス人で文化大臣まで務めた親日家のアンドレ・マルローが「日本が世界を救う」と言い残して亡くなった件についてその理由を掘り下げたく思います。


浄土宗の開祖である法然上人平安時代末期から鎌倉時代初期)の父、漆間時国は武士であり、敵の夜討ちにあい非業の死を遂げるのですが、落命寸前に9歳の幼き法然に「決して仇を討ってはならない、恨みに恨みを持つことなかれ、早く俗世を離れ出家し、仏道を求め我が菩薩を弔え」と言い残しました。これは武士としては異例の事ですが、仇を討てば報復の連鎖が起きる事を、父の時国は分かっていたのでしょう。

法然上人

しかし日本には赤穂浪士の仇討ちという有名な物語があるではないかと言われそうですが、これには深い訳があります。大石内蔵助は赤穂藩再興を最優先に考えており、それが叶わないとなって初めて吉良上野介への仇討ちを決断したのです。当時は喧嘩両成敗が基本でした。しかし「浅野内匠頭は即日切腹、吉良上野介はお咎めなし」との裁きが下り、これに赤穂藩は納得が出来ませんでした。仇討ちは、幕府に対する抗議の意味もあったのです。

 

以前私は浅野内匠頭と四十七士のお墓がある東京都高輪の泉岳寺を訪ねた事があります。資料館の人から「赤穂浪士は吉良の首は取ったが、その遺体はきちんと布団に横たわらせて帰陣した」という説明を聞き、「流石は山鹿素行に武士道を学んだ赤穂藩士だけの事はあるな。」と感心しました。

赤穂義士 誠忠画鑑 鳥居言人画


 このように、日本人はたとえ敵であっても相手に礼儀を尽くすというところがあります。

明治天皇の御製に

「国のため あだなす仇は くだくとも いつくしむべき 事なわすれそ」

というものがありますが、赤穂浪士の行為はこの御製にピッタリ当てはまるものだと思います。


 また世界最古の会社「金剛組(創業西暦578年)」は、見えないところでも決して手を抜かないことを誇りとしています。何故なら「300年後にそれを見る人がいるから」だそうです。

平安時代の学者、政治家であり、学問の神様として全国の天満宮に祀られる菅原道真の和歌に

「心だに 誠の道に かないなば 祈らずとても 神や護らん」

というものがあります。


画像:太宰府天満宮HPより

 このように、日本人が一番大切にして来たものは「誠の心」であります。アンドレ・マルローはこういった日本人の誠の心を理解し、それに無双の価値を見出し「日本が世界を救う」と言う言葉になったのでしょう。 


AIに日本の様々な歴史や「誠の心」を学習させれば日本人の行動もかなりの確率で予想出来るようになると思います。

次回も続きを書きます。菅田拝

2025/11/08

アンドレ・マルローの予言 その1

 菅田代表提言 第37回

令和7年11月8日



 アンドレ・マルローの予言 その1

 

昭和39年、ルーブル美術館の至宝ミロのヴィーナスが来日しました。この時フランスの文化大臣に就任していたのがアンドレ・マルローでした。親日家のマルローが尽力してくれたのだと思います。

マルローは「日本が世界を救う」と言い残して亡くなりました。私はこの話をマルローに師事した竹本忠雄先生の講演テープで聞いたのですが、「何故日本が?」と初めはあまり理解出来ませんでした。しかし最近では「アンドレ・マルローの慧眼、恐るべし」と思うようになりました。それを以下に述べます。


 
彼は何度も来日して日本の伝統、文化、芸術を研究しました。そしてキリスト教の聖地エルサレムには行かず、日本の聖地である伊勢神宮や熊野を訪問しました。そこで霊的な啓示のようなものを感じとったようです。マルローはユダヤ教、キリスト教、イスラム教などの一神教では世界を平和に出来ないと考えたようです。

1974年5月4度目かつ最後の日本への旅に赴いた
アンドレ・マルロー氏(右)と竹本忠雄氏(左)
(熊野路から伊勢路への巡礼の古道)

一神教では、人間は神が土の塵(ちり)(何の価値も無いもの)から作ったものですから、神は人間が作った道徳等に縛られる事は絶対に有りません。そして最終的には神が人間を裁きます。人間に恐怖感を植え付けて支配するというやり方です。

それに対して日本の神様は、人間を裁くようなことはしません。日本では誰も命令しなくとも、また罰則が無くとも秩序が乱れない。これは世界の非常識のようです。

私は阪神淡路大震災や東日本大震災が発生した時、「被災地では掠奪も暴行も起きていない」と外国のメディアが驚きとともに報道したのを知り「何故そんな当たり前の事がニュースになるのか?」と不思議でなりませんでしたが、これは日本だからこそ秩序が乱れなかったのであり、世界中で特別な事だったからニュースになったのでした。

最近話題になっている人工知能AIは、人間の行動について9割以上の確率で予想出来るようです。しかし日本人の行動だけは予想出来無いようです。しかも極限状況になればなるほど予想が外れるとのことです。ところが、日本人の特性や精神性をAIに学ばせると、高い確率で行動を予測出来るようになるそうです。この事は、次回もう少し掘り下げたいと思います。 以上

 

 

補足説明

日本の神様は人間を裁くようなことはしないと言うと、「日本の仏教には極楽と地獄の話があるでは無いか」と言われそうですが、これは因果応報を理解させる為の喩え話であります。平安時代の僧侶源信は「往生要集」を著し(嘘つきが行く地獄、ケチだった人が行く地獄、貪りの心が強かった人が行く地獄)等詳しく書かれていますが、地獄に行かないためにとかそんな事をいちいち考えて行動している人は殆どいないと思います。ただ当たり前と思って行動しているのです。これは誇るべき日本人の特性だと思います。 

ちなみにユダヤ人の大富豪は来世の事はあまり考え無いようです。


※竹本忠雄:仏文学者、文芸評論家。筑波大学名誉教授。アンドレ・マルローの研究家として国際的に有名。

2025年3月25日、日仏の文化交流の功労者に贈られるフランスのルネサンス・フランセーズ大賞(メダイユ・ドール)を受賞(産経新聞記事)




 

2025/10/09

高市早苗自民党総裁へ

※11月24日(月・祝)の第62回歴史講演会のお申し込みは、最新行事のページにある
 申し込みフォームからお申し込み下さい。

  
菅田代表提言 第36回



 高市早苗自民党総裁へ

 

            令和7年10月9

 

石破茂極左政権に終止符が打たれて、やっと高市早苗自民党総裁が誕生しました。


公明党は早速歴史認識や靖國神社参拝について意見を述べておりますが、これは中国を意識しての発言でしょう。国会議員たる者、靖國神社に参拝するのは当然であり、これが政治問題化する事がおかしいのです。

 代表提言第8回で靖國神社について書きましたが、戦後昭和天皇も御親拝されておりましたし、首相も参拝しておりましたが何の問題にもなりませんでした。これが問題になったのは、中曽根総理の時です。中国の権力闘争に巻き込まれる形でその後参拝を躊躇するようになりました。

昭和1969(昭和44年)靖国神社創立百周年に際して昭和天皇御親拝

 それに「A級戦犯が合祀されているからけしからん」と言う人もいますが、これは全くの無知からくる発言です。戦犯として処刑された人は、サンフランシスコ講和条約締結後に国会議員全員の決議により「法務死」とされ、戦死と同じ扱いにするとしたのが日本国の見解、立場です。それを一般人ならいざ知らず、自民党総裁選挙に出た林芳正さんまでもが「A級戦犯分祀」発言をしておりますから、話しになりません。これは中国に対するリップサービスでしょうが、全く情け無いとしか言いようがありません。

2023年外務大臣時に中国の外交トップ王毅と

 もしアメリカ大統領がアーリントン墓地に供花する時、日本の国会議員が「アメリカは日本中の都市を無差別爆撃し原爆まで投下して無辜の非戦闘員を大量虐殺した、故に大統領はアーリントン墓地に行くべきでは無い」と発言したらどうでしょうか。アメリカ政府は「内政干渉だ」と反発するでしょう。

 安倍晋三元総理が靖國神社に参拝した際、当時参議院議員だった衛藤晟一さんが事前にアメリカに根回していたにもかかわらず、当時オバマ政権のバイデン副大統領は「落胆した」と発言しました。衛藤さんは「こっちこそ落胆した」と言っておりました。
2013年12月26日靖国神社を参拝する安倍晋三首相

 日本に対するこうした行為は、米中韓いずれも本来絶対やってはならないタブー(信仰の自由)を犯しているということに気が付いていない筈は無いと思います。しかし日本政府が弱腰だから、いつまでも外交カードとして高飛車な態度を取るのです。

 安倍総理は堂々と靖國神社を参拝したかったのですが、側近の大反対によって2回目は見送るようになりました。日本政府内には「獅子身中の虫」が沢山いる事がこれで分かります。

  近日中に高市総理大臣が誕生するでしょうが、間違いなく中国や韓国は、靖國神社や歴史認識についてイチャモンを付けてくるでしょう。その時は「分かりました。半導体製造に関する全ての機械部品の輸出を止めます。」と言えばいいのです。「正義は我に有り」です。
 
補足説明
絶対服従と自由は矛盾しない
たとえ毎日強制労働させられ、行動の自由がゼロだったとしても、頭の中で何を考えようが何を信仰しようが強制されなければ、そこに自由はあります。アメリカはイラクに戦争を仕掛けても、イスラム教からキリスト教に改宗しろとは絶対に言いません。それはタブーだと知っているからです。高市総裁には信念を貫いて貰いたいと思います。

かくまでに 醜き国に なりたれば 
   捧げし人の ただに惜しまる (戦争未亡人の和歌) 

2025/09/10

大東亜戦争 その3

菅田代表提言 第35回

大東亜戦争 その3

令和7年9月10日

 

 前回に引き続き日米戦争が不可避だった事について述べます。

日米開戦前に中国でアメリカの外交官を務めていたラルフ・タウンゼントという人物がおりました。彼はアメリカ商務省のデータを調べて米日貿易の方が米中貿易より遥かにアメリカに利益をもたらしていると言う事実を知ります。

「中国は治安が悪いので軍隊を駐留させなければならないが、日本にはその必要が無い。それだけでも莫大な経費節減になっている。故に日本に圧力をかけて中国を援助するという米国の外交は間違っている」と主張して1933年に「暗黒大陸シナの真実」という本を出版しベストセラーになりましたが、帰国後の活動から日米開戦直後の1942年に何と彼は投獄されてしまいます。ルーズベルトは何としても日本と戦争したかったのでしょう。

 

イギリスの首相チャーチルは、ドイツに負けそうなので何とかアメリカを戦争に引き摺り込もうと思っていましたし、ルーズベルトもヨーロッパの戦争に介入しようと画策していました。そこで米英両首脳が1941年8月9日大西洋上のイギリス戦艦プリンスオブウェールズ艦上で会談します。その時発せられたのが大西洋憲章です。そこには、

1、自由な貿易 

1、主権、自治を強奪されたものにはそれが回復される事を希望 

1、領土の不拡大、不変更 

等々立派な文言が並んでいますが、これはイギリスの植民地には適用されないとチャーチルは発言しておりましたから、ドイツに侵略されたヨーロッパの白人の国々には適用されても、インド人やビルマ人等の有色人種に適用するつもりは全くなかったのです。

この時点でアメリカは、まだ日本ともドイツとも戦っていないにもかかわらず、会談で戦後の世界体制について話をしております。米英で日本とドイツを叩き潰す事を前提に話しをしたという事です。

皆さんは「公論は敵より出ずる」(公正な意見は味方よりもむしろ敵方から出てくる)という言葉をご存じでしょうか。下記に紹介する三人は日米開戦に至るまでの日米交渉を公文書などから詳細に調べてルーズベルトを痛烈に批判しております。 

アメリカの歴史学会会長であったチャールズ・ビーアド博士は著書「ルーズベルトの責任 日米戦争はなぜ始まったか」(1948)(和訳2011)を出版し、日米戦争はルーズベルトという狂人によって引き起こされたと言っております。



下院議員だったハミルトン・フィッシュも「ルーズベルトの開戦責任 大統領が最も恐れた男の証言」(1976)(和訳2014)を著しルーズベルトを絶対に許さないと言っております。




またハーバート・フーバー元大統領も戦後「裏切られた自由」(2011)(和訳2017)という本で太平洋戦争はルーズベルトが参戦を希求して日本を挑発し続けたことによって生じたものであり、開戦を回避することが可能だったと主張しています

しかし残念なことにこれらの正論は戦後の日米に於いて「歴史修正主義」とのレッテルを貼られ、なかなか広がっていきません。 

当時アメリカでは国会議員ですらハル国務長官が野村大使に手渡した最後通牒「ハルノート」の存在を誰一人知りませんでした。ルーズベルトはアメリカ議会を欺いて日本を追い詰め、日本が先にアメリカを攻撃するように仕掛けたと言うのが真相なのです。 

ちなみにチャーチルはユダヤ系国際金融資本ロスチャイルドの僕(しもべ)ですし、ルーズベルトはウォール街(金融街)出身ですから、当時の米英政府の後には巨大な闇の勢力があった事は間違いないでしょう。当時の日本ではそれらを「地下政府」と呼び、トランプ大統領は「ディープステート」と呼んでおります。

強気のトランプ大統領もこのディープステートと全面的に戦うことは出来ず、多少は譲歩しているようです。菅田拝

 

補足説明

「ハルノート」はアメリカ財務省のハリー・デクスター・ホワイトという人物が書きました。戦後彼はソ連のスパイだった事が分かっております。ソ連も日米戦争を画策していたのです。

アメリカでは宣戦布告の権限は議会にありますから、事実上の宣戦布告であるハルノートの存在をルーズベルトは議会に知らせなかったのです。 

2025/08/12

大東亜戦争 その2

 

菅田代表提言 第34回



大東亜戦争 その2

 

令和7年8月12日

 

 

今年は終戦80周年とのことで、多くのメディアが大東亜戦争について特集を組んでおりますが、殆どの内容が、「当時の日本は戦争に前のめりであった」「自ら戦争に突き進んでいった」との誤った認識で始まっていることは実に残念です。今回は、何故日米戦争が不可避だったのかについて述べたいと思います。

日露戦争後、アメリカは急激に反日に転じます。その大きな原因は、満州鉄道を日米共同で経営するというアメリカの鉄道王ハリマンの提案を日本政府は一旦受け入れて仮調印したにも関わらず、外務大臣小村寿太郎の反対にあって反故にされたという事に対する恨みがあったからだという事は間違い無いと思います。これで小村寿太郎の評価は少し下がってしまいます。しかし実は児玉源太郎も共同経営に反対していたということはあまり知られておりません。



    写真:  小村寿太郎          児玉源太郎


アメリカは日露戦争時、日本の外債を大量に購入してくれました。ジェイコブシフ(ユダヤ系大金融資本家)などは、明治天皇から旭日大綬章まで授与されております。アメリカにとってみれば「日露戦争に日本が勝利できたのは誰のお陰か。アメリカ大統領(セオドア・ルーズベルト)が日露の仲裁に努め、莫大な資金を提供したのはアメリカだぞ。」という思いは当然であります。

しかし小村寿太郎や児玉源太郎にとっては日本の将兵が大量の血と汗を流して獲得した満州鉄道を、共同経営を許せばいずれ資本力の強いアメリカに乗っ取られるとの危惧があったのも当然です。

この一件で初めてアメリカが反日に転向したのかと思いきや、さにあらず。アメリカは日露戦争の7年も前から対日戦争計画(オレンジ計画)を策定しておりまして、日露戦争後に本格的に研究が進められました。オレンジ計画はアルフレッド・マハンの「海上権力史論」に基づいて研究が進められ、アメリカはこの計画通りに日本と戦ったのです。

アルフレッド・マハン


また日露戦争後にアメリカが制定した排日移民法は日米の離間を決定的にしました。渋沢栄一は老体に鞭打って日米関係の修復に努めましたが、全て水泡に帰してしまいます。彼は次のように語っております「70年前にアメリカ排斥(尊王攘夷運動)をしたが、当時の考えを思い続けていたほうが良かったかというような考えを起こさざるを得ないのであります。」渋沢のアメリカへの思いは、一方通行の片思いであり[美しい誤解]であったと痛嘆したのであります。   

昭和天皇は、日米戦争の遠因は排日移民法にあったと述懐されております。日本は日米戦争回避を真剣に考えて行動していましたが、アメリカは何としても日本と戦争をやり、叩き潰すことを考えていたのですから戦争回避は無理でした。

次回もう少し開戦に至る経緯を述べたいと思います。菅田拝

 

■補足説明

アルフレッド・マハン『海上権力史論』

アメリカ合衆国の海軍軍人・歴史家・地政学者。歴史を研究した結果、海上を支配する者が勝者となるとの結論に達する。マハンは幕末の日本に来て、イギリス公使のパークス暗殺未遂事件等を知り、日本は野蛮な国だと思ってしまう。日露戦争時の作戦参謀秋山真之もマハンから教えを受けている。

 

■訂正

第31回の記事でトヨタ自動車が4,000億円の消費税還付を受けていると書きましたが実際は約6,000億円で、豊田市の税務署の赤字が4,044億円でした。豊田税務署の赤字額は日本一だそうです。(2021年のデータ) *本文訂正済み。

 

2025/07/10

 

菅田代表提言 第33



大東亜戦争

 

令和7年7月10日

 

 

毎年6月から8月15日にかけて大東亜戦争についてのドキュメンタリー番組やドラマ等がテレビで放映されます。今年はNHKの朝ドラでも軍人が登場しましたが、見るに耐えない内容でした。確かに横柄な軍人は存在しておりましたし、卑怯な将軍や海軍提督もおったようです。しかしそれは歴史のごく一部分で有ります。

歴史は俯瞰してみないと、その実相は分かりません。ガダルカナル島の戦い、ペリリュー島の戦い、硫黄島の戦い、沖縄の戦い、これらは全て日本軍の敗北に終りました。しかし日本軍と戦ったアメリカ軍人のなかには、「古今東西これほど強い軍隊はない」と言った者がいる位、日本軍は強かったのです。 

例えば硫黄島の戦いは大東亜戦争中、唯一アメリカ軍の損害が、日本軍の損害を上回ったと言われております。しかし実は沖縄戦でもアメリカ軍の戦死傷者66000人と言う公式発表の2倍の損害があったと言われています。それは、実際に戦ったアメリカ兵が証言したり、記録を残しているからです。アメリカ政府は、勝っていながら実は日本軍より損害が大きかったとは発表出来なかったようです。

一知半解な歴史家や知識人は、早く降伏すれば良かったと言いますが、日本軍が玉砕戦をやらず、また特攻攻撃をしなければ、日本政府は無条件降伏するしかなく、皇室は廃絶、寺社仏閣は破壊され尽くされ、そして日本人の公用語は英語になり、キリスト教への改宗を強要された事でしょう。

特攻隊に志願した、ある学徒兵は次ように語っております。

「私達は学鷲です、この戦争に勝てるとは思っておりません。しかし私達の死が降伏条件の緩和になるのです。」

また「特攻の父」と言われた大西瀧治郎提督は、

「特攻をやらずに敗北すれば、それは本当の敗北になる。しかし特攻を敢行しての敗戦なら、後世の人々は、『先輩達は祖国日本を護る為そこまでやってくれたのか』という歴史が残る。それが日本再建につながる。」と言う意味の事を言い残しております。

                 大西瀧治郎提督


実際に無条件降伏要求は、ポツダム宣言13ヶ条の有条件降伏になったのです。その意味を深く考え、日本国民は靖國神社に祀られている、護国の英霊に感謝の誠を捧げなければなりません。

 菅田拝

 

大西瀧治郎提督の遺書

遺書

特攻隊の英霊に申す

善く戦いたり深謝す 

最後の勝利を信じつつ肉弾として散花せり

然れ共其の信念は遂に達成し得ざるに至れり、

吾死を以って旧部下の英霊と其の遺族に謝せんとす

次に一般青壮年に告ぐ

我が死にして軽挙は利敵行為なるを思い、聖旨に副い奉り自重忍苦するの誡ともならば幸なり(訳:私の死が君らに軽率な行動を起こすことは敵に利する事となる。天皇陛下の仰せに従い、軽率な言動を慎んで、苦労を耐え忍ぶべきとのいましめになれば幸いである。)

隠忍するとも日本人たるの矜持を失う勿れ

諸士は国の宝なり 平時に処し猶お克く

特攻精神を堅持し 日本民族の福祉と

世界人類の和平の為 最善を尽せよ

 

海軍中将大西瀧治郎

八月十六日