2020/02/27

第52回歴史講演会



ポーランドの孤児を救え!
日本とポーランド友好100年の物語


ヨーロッパ随一の親日国ポーランド

■偉大な作曲家ショパンを生んだポーランド。そのポーランドが大の親日国であることをご存知だろうか。今から100年前の大正9年(1920年)、シベリアにいたポーランドの孤児765人を、当時の日本政府が救出し、日本で手厚く保護・看護して母国ポーランドまで送り届けたという感動の物語がありました。
■以来ポーランドの人々はそのときの恩を忘れずに、阪神淡路大震災、東日本大震災のときに日本の子
供達を招待し、歓迎してくれたのです。
■東京オリンピック開催の年、100年前にあった日ポ友好の歴史を学んでみませんか。

講 師 岡田幹彦先生(日本政策研究センター主任研究員)

と き  4月29日(水・祝)
     午後2時開会~4時30分終了
ところ  松音寺(しょうおんじ)
     仙台市若林区新寺4丁目6
     JR「榴ヶ岡駅」から徒歩約9
     地下鉄「連坊駅」から徒歩約7分
参加費  一般1,000円・学生無料(学生証を提示下さい)
主 催  宮城ビジョンの会
事務局  TEL022(285)3383
後 援  宮城県教育委員会・仙台市教育委員会・
     産経新聞社東北総局






なぜシベリアにポーランド人がいたのか?


ポーランド人は独立を求めて、何度もロ
シアに対して武装蜂起を繰り返した。その
たびに失敗しては、捕らえられた者はシベ
リアに「流刑囚」として流されて、強制労
働をさせられた。1863年から翌年にかけ
ての「一月蜂起」では8万人もの流刑囚が
シベリア送りとなった。その後を追って、
恋人や家族がシベリアに行った。そのため
にシベリアには何十万人ものポーランド人
がいたのである。そしてそこで多くの子供
たちが生まれた。
1818年、ロシア革命が勃発すると、シ
ベリアのポーランド人たちは祖国独立の一
助になろうとチューマ司令官のもとに2,00
0名の部隊を結成し、シベリアで反革命政
権を樹立したロシア提督・コルチャークを
助けて赤軍と戦った。しかし、その試みは
失敗し、ポーランド人部隊はウラジオスト
ックに追い込まれた。
この時に立ち往生していたポーランド人
部隊を救出し、大連、長崎を経て祖国へ帰
還するのを助けたのが、日本であった。日
本はソビエト革命政権の成立を阻止しよう
として、米英仏などと共にシベリアに出兵
していたのである。
赤軍は武装蜂起したポーランド人たちを
見つけ次第、殺そうとした。ポーランド人
たちは着のみ着のまま、東へ東へと逃げ、
その混乱の最中に多くの子供が親を失った。
孤児の一人で後に日本に助けられたバツワ
フ・ダニレビッチ氏は当時の状況をこう語
っている。
街には、飢えた子どもがあふれていまし
たね。その子たちは、日本のヘイタイサン
を見ると、「ジンタン(仁丹)、クダサイ。
ジンタン、クダサイ!」と、せがむのです。
日本のヘイタイサンは、やさしかった。わ
たしも、キャラメルをもらったことがあり
ます。孤児の中には空腹をまぎらそうと、
雪を食べている子どももいました。シベリ
アはもう、まったくの地獄でした。
(『日本のみなさんやさしさをありがとう』
手島悠介・著/講談社)

 語り継がれる日本の”サムライ魂” 


阪神大震災の孤児たちをポーランドに呼
ぼうと働きかけた中心人物は、外交官スタ
ニスワフ・フィリペック氏である。フィリ
ペック氏はポーランド科学アカデミーの物
理学教授だったが、ワルシャワ大学で日本
語を学び、東京工業大学に留学した経験も
あった。
フィリペック氏のお父さんは、第2次大
戦中、ドイツ占領下のポーランドでレジス
タンス活動に従事していたが、氏が3歳の
時にゲシュタポ(ナチス・ドイツ秘密警察)
に捕まって強制収容所に送られ、還らぬ人
となった。その後、氏はおばあさんに育て
られたが、よくこう聞かされた。
お父さんのように強くなりたかったら、
ジジュツ(柔術)をやりなさい。ヤポンス
カ(日本)に伝わるレスリングよ。ヨーロ
ッパの果て、そのまた果てのシベリアのむ
こうにね、ヤポンスカという東洋の小さな
島国があるの。その小さな国が、大きくて
強いロシアと戦争をして、やっつけたんだ
もの。ジジュツのせいかどうかはしらない
けど、ヤポンスカはサムライの国でね、サ
ムライ魂を持っているんだ。
小さなヤポンスカがロシアを負かしたこ
とは、私たちポーランド人の希望になった
んだ。わたしたちもヤポンスカのように、
ロシアや、ドイツや、オーストリアを負か
して追い払い、自由をとり返して、独立で
きると信ずることができた。そしてそのと
おり、第一次大戦のあとで、ポーランドは
独立できたんだよ。
(『日本のみなさんやさしさをありがとう』
手島悠介・著/講談社)

おばあさんは幼いフィリペック氏に、ヤ
ポンスカがポーランド人捕虜を親切に扱っ
たことや、大勢のポーランド孤児をシベリ
アから救出したことを語って聞かせたとい
う。これが機縁となって、氏は日本語を学
び、両国の友好のために働こうと決意した
のである。