広島ご巡幸の際、7万の国民に歓迎される昭和天皇
謹啓
桜花爛漫の春を迎え、貴方様には益々ご清祥のこととお慶び申し上げます。
間もなく4月28日。昭和27年にサンフランシスコ講和条約が発効され、わが国が主権を回復した日を迎えます。
この時の歓びを昭和天皇は、
「風さゆるみ冬は過ぎてまちにまちし八重桜咲く春となりけり」
「国の春と今こそはなれ霜こほる冬にたへこし民のちからに」
と詠まれました。
主権回復は単に条約上の問題ではなく国民と共に国難を乗り越えられた陛下の歓びそのものでした。大東亜戦争の敗戦・占領はわが国未曾有の国難でした。その国難に対し、昭和天皇は国民を慰め励まし生きる勇気を与え復興に起ち上がってもらうことが自らの責任であると「全国ご巡幸」を始められたのです。
ご視察日数165日、距離数3万3千キロ。沖縄を除く全国46都道府県を隈無く歩かれました。被爆地広島では七万人の県民が陛下の御巡幸に感泣し生きる希望を見出しました。佐賀の因通寺では両親の位牌を抱えた戦災孤児を涙を流して励まされました。静岡では巡幸反対を唱える共産党員もお帰りの際には「天皇陛下万歳」を叫んでいました。北海道ではアイヌの伝統衣装に身を固めた長老たちが日の丸を振って陛下をお迎えしました。戦いに敗れ焦土と化した日本は、ご巡幸によって国民の心が一つになり奇跡の復興を遂げたのでした。
主権回復後64年目の春を迎え、国難を乗り越えて尚、今も輝き続けている美しい日本の国柄を、守り伝えていくことを改めて決意した次第です。
末筆ながら、更には、29日は昭和天皇のお誕生日「昭和の日」であることを述べさせて頂きます。
今後とも、皆様のご支援、ご教授を心よりお願い申し上げます。
敬具
追伸:因通寺でのエピソードは、歴史ブログ「ねずさんのひとりごと」で詳しく読むことが出来ます。是非どうぞ。
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1322.html
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宮城ビジョンの会 代表世話人 菅田彰人
左:地方巡幸の初日、横浜の稲荷台共同宿舎を訪れ戦災者を激励する昭和天皇(右)=1946年2月19日撮影(毎日新聞)
下:四国高松市ご巡幸