菅田代表提言 第22回 廃藩置県
令和6年8月11日
今回は明治維新における廃藩置県について書きます。
廃藩置県の前に版籍奉還を実施しました。版籍奉還とは人民と土地を朝廷(天皇)にお返しするという事でした。しかしその後も各藩の藩主はそのままで、年貢による収入は藩に入っていました。これでは明治新政府の財政は成り立ちません。そこで廃藩置県を実施し藩の収入を政府に集め、日本を中央集権国家にしたのです。
この政策の中心人物が西郷隆盛でした。西郷の主君だった薩摩藩の島津久光は、西郷に「廃藩置県だけは絶対にやってはならない。」と釘を刺していましたが、日本の将来の為に西郷は主君に逆らってこれを断行したのです。西郷は薩摩、長州、土佐の三藩の兵士を御親兵として朝廷に献上して、廃藩置県に反抗するなら討伐するとの体制を整えていました。それでも大久保利通や木戸孝允は心配で夜も眠れない状態でした。明治天皇も大変心配されておられましたが、西郷は「おそれながら吉之助がおりますれば、御心を安んじ下さいませ。」と奉答したので天皇も深く安堵されたのです。
明治4年7月14日、廃藩置県の詔勅が出されました。この突然の命令に逆らう藩は驚くことに一つも有りませんでした。これは各藩主の明治天皇に対する忠誠心が篤かったからこそ成就したことに他なりません。ここに700年間の幕府による封建体制が、一滴の血も流さずに終焉を迎えました。
これを見た英国駐日公使パークスは「日本の天皇は神である。もしこの様な事をヨーロッパで行えば、何十年、何百年の血腥い戦争の後に、はじめて可能であろう。」と歎じて言いました。
日本の廃藩置県と似たような出来事に、ドイツ統一があります。これは首邦プロイセンを中心にビスマルクが成し遂げたものですが、25の邦国はそのまま残り半独立国でした。いくつかの邦国は、独立した陸軍や議会と法律と勲章をもち、ヨーロッパ諸国に外交使節を派遣していました。これと比べれば日本の廃藩置県がどれだけ凄い改革だったかお分かり頂けると思います。
補足説明
版籍奉還で人民と土地を朝廷(天皇)にお返しすると言う事は、人民と土地は天皇の所有という事になります。その根拠は日本書紀にある「天壌無窮の神勅」にあります。興味がある方は三大神勅を検索してみて下さい。菅田拝
廃藩置県の詔勅
朕󠄂惟フニ更󠄁始ノ時ニ際シ內以テ億兆ヲ保安シ外以テ萬國ト對峙セント欲セハ宜ク名實相副ヒ政令一ニ歸セシムヘシ朕曩ニ諸󠄀藩版籍奉還󠄁ノ議ヲ聽納󠄁シ新ニ知藩事ヲ命シ各其職ヲ奉セシム然ルニ數百年因襲ノ久キ或ハ其名アリテ其實擧ラサル者󠄁アリ何ヲ以テ億兆ヲ保安シ萬國ト對峙スルヲ得ンヤ朕󠄂深ク之ヲ慨󠄁ス仍テ今更󠄁ニ藩ヲ廢シ縣ト爲ス是務テ冗ヲ去リ簡ニ就キ有名無實ノ弊󠄁ヲ除キ政令多岐ノ憂無ラシメントス汝群臣其レ朕󠄂カ意󠄁ヲ體セヨ
明治四年七月󠄁十四日