2024/03/12

3.11東日本大震災に思う

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菅田彰人代表提言 第17

 

311東日本大震災に思う

 

                                                                                   令和6311

 

今回は[日支闘争計画]について書く予定でしたが、3月なので大震災に関連した事を書きたいと思います。

今から13年前の311日に東日本大震災が発生しました。当時テレビは娯楽番組等が取り止めになり、復興に向けて頑張ろうというCMばかりが流されていました。その中で私が鮮明に覚えているのが、サッカー選手の内田篤人さんが言った「日本は1つのチームなんです」と言う言葉でした。その言葉を聞いたとき、私は直ぐに初代神武天皇が即位の時に宣言した「八紘為宇(はっこういう)」という詔(みことのり)を思い出し胸が熱くなりました。内田選手は恐らくご存知無かったと思いますが、本能的に日本と言う国は1つのチーム則ち家族だという感覚があったのだと思います。

震災直後の内田篤人選手

八紘為宇とは、「一つ屋根の下で暮らす家族のような国家を造る」と言う日本国建国の志(こころざし)です。敗戦後、建国神話や皇室の尊さは学校で教えられなくなってしまい、戦後教育で日本は悪い国だとすっかり洗脳されてしまった日本人ですが、遺伝子は今も健全だったという事でしょうか。

大震災発災の時の日本人の行動は世界から称賛されました。アメリカから来た報道人は、「被災地では掠奪も暴行事件も起きていません」とありのままに報道すると、「真面目に取材しろ」と言われたようです。日本人なら当然だと思う事が世界から見ると異常な事のようです。また以前、ドイツ人が大震災で帰国出来なくなった時、周りの人達が色々手配して帰国出来るようにしてあげたという動画を見ましたが、流石日本人だと誇らしくなりました。

また戦前の教科書には『稲むらの火』という小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)作の物語が載っていました。この物語は実話で、濱口梧陵という庄屋さんが安政の大地震の直後、機転をきかせてその年に収穫した大事な稲の束(稲むら)に火を付けて闇を照らし村人の避難を促し津波から救ったというものです。この物語は戦後日本がアメリカに占領されている時代に、教科書から消されてしまいました。現在一部の国語教科書に載っていますが、全ての教科書に載せるべきだと思います。13年前も、この物語を知っていた人が大地震が来た直後に津波が来ると直感し、すぐに高台に避難して自宅は流されても、命が助かったという話を知人から聞きました。もし戦後も「稲むらの火」の物語を教科書に載せ続けて学校で教えていたら、津波で亡くなった人は半分以下だったのではないかとすら思います。今こそ戦後の教育を総括し、先人に学ばなければならない時だと思います。 菅田拝


13年前に流れたCMの動画はこちらで見られます。