菅田彰人代表提言 第9回
令和5年8月29日
「昭和20年9月2日は何の日?」と問われて、直ぐに答えられる日本人はどれだけいるでしょうか。
この日はアメリカの戦艦ミズーリ号上で、日本の全権団が大東亜戦争の降伏文書に調印した日です。
日本が降伏するにあたり、最大の問題は皇室をいかにして存続させるかでした。アメリカは昭和天皇を裁判にかけて処刑し、当時皇太子だった上皇陛下を皇位につかせるつもりだったのです。(下線部分:弟宮の秩父宮殿下の間違い)
しかしこの悪巧みは、昭和天皇とマッカーサー会談で粉砕されます。マッカーサーは会談が始まると、昭和天皇に対して「戦争責任を取るのか」と詰め寄ります。それに対し昭和天皇は「全ての責任は私にある。私を絞首刑にしてよろしい。」と答え、国民をどうか飢えさせないで貰いたいと懇願したのです。そして皇室財産を如何様に処分しても構わないとも申し出ました。この言葉を聞いたマッカーサーは感動のあまり天皇陛下にキスしそうになり、「神の如き帝王を見た」と述べております。この御方を裁判にかけたりしたら大変な事態になると瞬時に悟ったのです。
この会談は外に漏らさない約束でしたが、マッカーサーが側近や重光葵(しげみつ まもる)氏に語っています。またマッカーサー回顧録にも言葉を和らげて書いています。昭和天皇は崩御されるまでこの会談について一切語りませんでした。大戦争に敗れるも王位を保持する事が出来た例は近代になって一例も有りません。故に昭和天皇は「奇跡の天皇」と言われるのです。
次回もこの続きを書きます。