菅田代表提言 第24回
虚構の南京大虐殺 その2
令和6年10月6日
今回も南京大虐殺の虚構について書きます。
昭和12年12月に中国の首都南京が、日本軍の攻撃によって陥落します。日本からは120人のマスコミ関係者が、また少し遅れて大宅壮一、西条八十、林芙美子、小林秀雄、石川達三ら多くの小説家、評論家も南京に入城しました。しかし誰一人として大虐殺なるものを見ておりません。
当時の朝日新聞社は「平和甦る南京」の写真特集を1ヶ月に5回も増刊号として出版しており、その写真には疎開していた南京市民が帰ってくるもの、農夫が畑を耕しているもの、日本人が中国の傷病兵を看病しているもの、日本兵と中国の子供が楽しそうに遊んでいるもの等が有ります。これらは第一級の資料です。こう申しますと左翼陣営から「大虐殺の写真もある」と、反論されそうですが、それらの写真は全て捏造写真である事が、科学的に証明されております。では何故未だに「南京大虐殺」の嘘が罷り通っているのか。
まず日本の歴史教科書に「南京事件」(一部教科書を除く)が書かれていて、中国も日本が「南京事件があった」と言っているので、これを教科書で教えるようになりました。信じられない事ですが、中国より先に日本の教科書に南京事件が書かれたのです。
江沢民主席時代(1989~2002)から本格的な反日教育がはじまり、日本の政治家の無知に付け込んでこれを外交で最大限に利用しました。しかし無かったものは無かったのです。
少し例を挙げてみますと、東京裁判で米国人ベイツ金陵大学(南京大学)教授は、「南京の至る所に死体があった」と証言しておりますが、南京陥落後東京日日新聞の取材の時にベイツ教授は、「秩序ある日本軍の入城で南京に平和が早くも訪れたのは何よりです」と言っております。ベイツ教授がアメリカの記者に嘘のメモを渡した為に、一時期南京で不法行為があったと新聞に書かれた事がありましたが、後に嘘話だということが分かり沈静化しました。また、彼は後に国民党中央政府の顧問だった事が判明しました。
また南京の安全区に居たドイツ人、ラーべ委員長(南京攻略戦の際、他の十数人の外国人と共同で組織した南京安全区国際委員会の委員長となり、中国民間人の保護に努めた。)は、日本軍に次のような書簡を送っています「私どもは貴下の砲兵隊が安全地区を攻撃しなかったという美挙に対して、また中国人の援護に対する将来の計画につき、貴下と連絡をとり得るようになりました事に対して感謝の意を表するものであります」またラーべ委員長は日本軍に、安全区を攻撃しなかった事に感謝して、感謝状を贈呈しております。
補足説明
何故日本軍が占領した南京に市民が戻ってきたのでしょうか?日本軍は市民に暴行するような事はしないと分かっていたからです。中国の庶民は、中国人の軍隊が来るとすぐに逃げます。それは掠奪や暴行されるからです。中国の諺に「良い鉄は釘にならない、良い人は兵にならない」と言うものがあります。中国には当時、徴兵制度は有りませんから、軍が街中でゴロツキを強制的にトラックに乗せて軍に連行し、兵隊にしていたのです。信じられない事ですがこれが事実です。これを良く知っているのが戦後の台湾の方々です。彼らは「アメリカは日本に原爆を投下したが、台湾には蒋介石を投下した」と言っております。興味のある方は、戦後台湾で起きた228事件を検索して見て下さい。
次回も南京事件について書きます。
菅田拝